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有備館の歴史

「有備館」は、江戸時代の仙台藩家臣である岩出山伊達家が開設した郷学(学問所)です。開校は十代邦直が当主の嘉永3(1850)年頃と考えられ、岩出山城北側の隠居所・下屋敷の敷地内に開設されました。現存する有備館の「御改所(主屋)」は、二代宗敏の隠居所として延宝5(1677)年に建てられた可能性が高い建物で、下屋敷としても利用され「対影楼」と呼ばれました。

明治維新後の明治2(1869)年には,有備館の御改所と附属屋は岩出山伊達家の居宅となり、庭園とともに守り伝えられてきました。昭和8(1933)年2月28日、居宅と庭園は「旧有備館および庭園」として国の史跡及び名勝に指定され、昭和45(1970)年に岩出山伊達家のご厚意により岩出山町(現大崎市)に移管され、一般に公開されるようになりました。

  • 御改所

    郷学「有備館」で当主が講義を聞いたり、学生に口頭試問を行ったと伝わる建物です。郷学として利用される前の隠居所や下屋敷では、藩主や当主専用の「書院」と呼ばれた建物と考えられます。書院は藩主御成りの時は饗応所・御成り座敷として用いられ、そこでは能などが行われました。お上の間の床の落し掛けにはこの建物の美称と伝わる「対影楼」の扁額がかけられています。また、建物の西側には当主専用の便所が置かれた附属建物が存在したことが十代邦直が描いた「有備館絵図」から分かります。

    御改所からは、庭園の四季折々の美しい景色を見ることができます。

  • 附属屋

    家臣の控えの間などに使われた建物です。有備館での名称は不明で、郷学として利用される前の隠居所や下屋敷では「広間」と呼ばれた建物にあたるものと考えられます。式台は藩主や当主専用の出入口で、駕籠の乗り降りに適した高さに造られています。十帖と板の間には暖をとるための炉があり、板の間は畳敷きであった可能性が考えられます。

    十帖と板の間には、「旧有備館および庭園」の歴史などを紹介する映像・展示コーナーを設置しています。

  • 庭園

    享保元(1716)年7月22日、五代藩主伊達吉村が岩出山の居館に一泊し、二代宗敏の隠居所(有備館)に寄ったと記録があり、正徳5(1715)年に四代村泰が吉村をもてなすために整備したと考えられます。

    作庭は仙台藩の茶道頭清水道竿(1662~1737)と伝わり、岩出山城の断崖を借景として、池の中に御中島、鶴ヶ島、亀子中島、兜島の四つの島を配した回遊式池泉庭園で、御中島には茶亭があり島に渡る橋が架けられています。

  • 茶亭

    御中島にある茶亭は「松花庵」と呼ばれ,四畳半一重宝形造こけら葺,南東が庇付で下は縁淵を回しています。水屋は、小二畳敷一部簀子張となっています。